春日山城趾

 春日山城は、標高180メートルもあり、堅固な(=守りがしっかりしていて簡単には破られないような工夫がしてある)城。謙信が住んでいた城である。謙信は天文17年(1548)、春日山城主になってから亡くなるまでの30年間、春日山城を根拠地に関東・北陸・信濃へと兵を進めた。
 現在、建物は残っていないが、城跡全体が国の指定史跡になっていて、本丸跡から一望できる日本海、上越市街地、直江津港の眺めはすばらしい。今もなお、城の周りにお堀や井戸の跡が残り、典型的な山城の姿をとどめている。

 −大井戸
 本丸跡近くにある井戸は、県下最大(直径約10メートル、深さ約10メートル)の大井戸である。山城の井戸としては日本最大で、どんな渇水でも枯れたことがなく、今も水が沸き続けている。

 −毘沙門堂

 謙信が出陣前に作戦を考えた場所である。謙信は熱心な毘沙門天の信奉者で、戦いの前には必ず、毘沙門堂にこもり戦いに勝つことを祈願していた。



春日山神社

 春日山神社は、春日山城跡に登る途中にある。上杉謙信を祭りの神様として、明治23年に旧高田藩士・小川澄晴(=童話作家小川未明の父)が創建した。「春日山神社記念館」には、謙信に関する資料などがそろっている。
神社の近くには「御屋敷跡(おやしきあと)」と呼ばれる平たい場所があり、謙信が日常生活をおくった屋敷の跡と見られている。また、川中島の方向を望む「上杉謙信銅像」もある。

林泉寺
 室町時代中期に、越後守護代(えちごしゅごだい)長尾能景(=謙信の祖父)が父の冥福を祈って供養するために建てた、長尾氏の菩提寺。謙信が7歳から14歳の間、名僧天室光育のもとで、禅の修業と文武の道を学んだ場所である。戦国の武将としては教養が高く信仰心が深いのは、この幼少時代には培われたものである。
 境内には、謙信や川中島の戦いで亡くなった人々の供養塔や宝物館、室町時代の様式の庭園などがあり、静かなたたずまいをより演出している。